伊吹在来そばの歴史と魅力
History of Ibuki Soba

1000年の歴史と
それを守り続けてきた地形

古くは天下に名を
知らしめた伊吹在来そば

そば文化が花開いた江戸時代。すでに「伊吹在来そば」の美味しさは全国に知られていました。日本各地を旅した俳人松尾芭蕉の弟子、森川許六の文献によると「伊吹蕎麦。天下にかくれなければ。」と記され、このときすでに全国に知られるそばだったことがうかがえます。年頭に藩に献上されていたことから、当時からとても貴重な食材であることがわかります。

伊吹在来そばの歴史

 起源  
伊吹在来そばの歴史1

「伊吹在来そば」の産地にそびえる伊吹山は、古くから山岳信仰の霊場、修業の場として神聖視されていました。平安時代後期から鎌倉時代にかけて、伊吹山中腹に開かれた太平護国寺で修行をする修行僧たちが、食料を確保するためにそばの栽培を始めたことが起源とみられています。

1706年

江戸時代にはその品質の高さから「伊吹在来そば」は日本中で知られる名物となりました。俳人松尾芭蕉の弟子、森川許六が編んだ「本朝文選」(1706年)には「伊吹蕎麦。天下にかくれなければ。からみ大根。又此山を極上とさだむ。酒々落々の風流物。誰か是を崇敬せぬものはあらじ」と記され、その人気の高さがうかがえます。

伊吹在来そばの歴史3
1734年
伊吹在来そばの歴史4

江戸時代に膳所藩が編纂した『近江與地志略』(1734年)には、秋になると琵琶湖の船の上からも伊吹山に広がるそばの白い花を見ることができたと伝えられています。また「伊富貴山之図」(1739年、重要文化財『彦根藩井伊家文書』、彦根城博物館蔵)には、伊吹山の西面にそば畑が描かれています。
本草学者の小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803年)にも「本邦ニテモ信州及江州桃井伊吹山ヲ上トス」と記されるなど、上質なそばの産地として知られていました。

1964年

太平護国寺が衰退した江戸時代以降も、寺があった太平寺村の名産としてそば栽培は継続されます。しかし、1964年の高度経済成長期、伊吹山の一部がセメント鉱山になったことに伴い、当時この地域に住んでいた住民は麓に移住し、農家も激減。そばの栽培量も大幅に減少しました。しかしながら、太平寺地区に近い峠地区で、一部の農家が「伊吹在来そば」の栽培を守り続けていました。

伊吹在来そばの歴史5
1995年
伊吹在来そばの歴史6

この歴史ある「伊吹在来そば」の復活を願う生産者たちは、1995年にその峠地区から種子を導入し「伊吹在来そば」の復活に向けて滋賀県と協力して栽培を続け、その生産規模を少しずつ拡大させていきました。現在では、そばの生産は、姉川の渓谷沿いをはじめ、谷口から広がる米原市内に拡大しています。

2019年

2019年、長年にわたり地域で育まれ、守られてきた特徴ある産品の名称を地域の知的財産として保護する農林水産省の地理的表示(GI)に「伊吹在来そば」が登録されました。滋賀県では近江牛に次いで2番目の登録であり、今や「伊吹在来そば」は、日本・滋賀県が誇る大切な存在として認められたのです。

伊吹在来そばの歴史7
 現在  

そして、現在。
「伊吹在来そば」の取扱店が一丸となり、この歴史ある「伊吹在来そば」を再び全国ブランドにすることを目的に「伊吹在来そばの会」が発足しました。この歴史ある「伊吹在来そば」を守り育み、全国へ広めることを理念に私たちはこれからも「伊吹在来そば」の歴史を紡いでいきます。

伊吹在来そばの魅力

長い歴史を持つ「伊吹在来そば」
この歴史あるそばは、伊吹山とともにあったと言っても過言ではありません。
この地の山に囲まれた地形は「伊吹在来そば」と他品種の交雑を防ぎ、今でも在来種本来の風味を守っています。
また、昼夜に寒暖差のある厳しい環境は、そばの持つ本来の力を最大限に引き出します。

伊吹山

滋賀県の最高峰、伊吹山

新幹線の車窓から眺めることができる伊吹山は、日本百名山の一つに数えられ、一目で心を奪う美しい山容を誇ります。米原市と岐阜県にまたがる標高1,377mのこの山は、古くは日本最古の書物「古事記」や「日本書紀」にも登場し、ヤマトタケルが伊吹山の神を倒そうとする神話が描かれています。古くから山岳信仰の対象になり、平安時代以降は修験者の修行の場にもなりました。多様な植生にも恵まれ、室町時代には織田信長がポルトガルの宣教師に命じて伊吹山に薬草園を作らせたと伝わっています。また、現在でも伊吹山から採れる石灰石がセメント原料として重宝されています。伊吹山は、古くから人々が関わり、その恩恵を受けてきた山だと言えます。

伊吹在来そばの生まれるところ

伊吹山を源流とする姉川。姉川は伊吹山の西側を流れ、流域には集落が点在します。かつてのそば栽培の中心地、太平寺地区も姉川沿いに位置し、現在の「伊吹在来そば」の生産地も姉川沿いを中心に、伊吹山の麓に広がっています。その上流域の山々に囲まれた静かな土地が、甲津原地区などの集落です。古くは平家の落人が逃げ隠れた伝説もある、谷間の土地で栽培されるそばの種子が「伊吹在来そば」の原型になります。最寄りの集落から数キロメートルほど離れている、孤立しているともいえる立地は、ミツバチをはじめ昆虫による交配が防げることから、他品種との交雑を起こしやすいそばの品種を守るには、ふさわしい場所です。

伊吹山
山野草の宝庫、伊吹山

山野草などの野生の宝庫、伊吹山

伊吹山の地理、気候、地質が生みだす豊かな植生は滋賀県内随一と言われ、長い年月をかけて独自の植生を育んできました。好石灰岩植物や北方系植物、日本海側に分布する植物など多種多様の植生がみられ、その数は約1,300種。そのうち約280種が薬草となっています。コイブキアザミ、イブキコゴメグサなど、イブキと名のつく固有種も生育しています。国の天然記念物に指定される伊吹山山頂の花畑には、春から秋にかけ色とりどりの美しい山野草が咲き乱れます。また、伊吹山は、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に分類されるイヌワシや、特別天然記念物のニホンカモシカをはじめ、多様な野生動物が生息する自然豊かな山でもあります。

そば栽培に適した冷涼な気候

伊吹山はよく風の山といわれます。それは、若狭湾と伊勢湾がせまる本州のくびれた地形の中央にあり、冬には北西の風、夏は南西の風が吹くからです。特に北西の風は「伊吹おろし」として、濃尾平野で昔から知られています。山頂は一年を通じて霧が多く、山頂の霧日数は年間平均300日(1918年~1988年)となっています。また、最深積雪は11.82m(4階建てのビルの高さ相当/1927年2月14日観測)で、世界山岳観測史上1位です。また、1日の最大積雪も2.3m(1975年1月14日観測)で、こちらも世界一の記録です。こうした厳しい環境を持つ伊吹山の麓では、そば栽培に適した冷涼な気候をもち、昼夜の寒暖差を受けて一層甘みを増した上質なそばが育ちます。

冷涼な気候
冷たく澄んだ、伊吹山麓の湧水

冷たく澄んだ、伊吹山麓の湧水

「伊吹在来そば」が生産される米原市には伊吹山と霊仙山がそびえ、その豊かな山々に降る雪解け水や雨水は姉川や天野川に注ぎ、田畑を潤します。また、地下深くにしみ込んだ水は、地中のミネラルを多く含んだ地下水となり長い歳月をかけて湧き出してきます。 大小含めると250を超える湧水や滝があると言われている米原市には、名水百選に選ばれた「泉神社湧水」、平成の名水百選に選ばれた「居醒の清水」と県内で2つの名水の称号をいただいている唯一のまちでもあります。水道の蛇口をひねればあたりまえのように水が出てくる現代、それでもこの湧き水の美味しさや美しさに魅せられ、市内はもちろん県外からも多くの人たちが訪れています。

伊吹在来そばができるまで

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